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2017年11月09日

ミステリアスな言い伝えが残る墓石群「宗功寺公園」

宗功寺公園(そうこうじこうえん)がある旧宮之城町は、江戸時代、宮之城島津家の所領でした。その菩提寺として、建てられたのが宗功寺です。寺なき跡も当時の姿をとどめているのが、35基も並ぶ圧巻の墓石。ここは古の人々のやさしさを拾い集められる場所です。

墓地の入り口を注意深く見ると、不自然な柱の跡が目に入ります。鹿児島では、明治初期、激しい廃仏稀釈が行われ、寺院がことごとく破壊されました。柱の痕跡は、当時の人が墓地を守るために、ここは寺ではなく神社であったと偽るため建てた鳥居の跡だったのだとか。

幸い守られた墓石は、祠堂様式と呼ばれる、中国の影響を受けた珍しいもの。石屋根があり、墓石中央の丸い穴の中には、石の位牌が収められているのです。
「ここの墓石は、美術品としても楽しめますよ」と教えてくれたのは、さつま町社会教育課の小倉浩明さん。台座には、馬や、嵐の波間に浮かぶ船など、その人が愛したものや、エピソードが彫られていて、ひとつひとつ見て回ると、古の人へのイマジネーションが広がっていくようです。


「鹿児島は男尊女卑として知られますが、実はそうとばかりは言えないかも。江戸時代の武家の奥方は大切にされていたようです」と話すのは、ボランティアガイドの四位勝義さんです。確かに、奥方の墓石は当主と並び建てられ、大きさは同じだったり、中にはやや大きいものも。「今の男女関係もそうあってほしいですね」と笑う四位さんです。

さて、ミステリアスな言い伝えとは、墓石群の中央に建てられた祖先世功碑にまつわるもの。5代久竹が建立し、石碑四面に島津家の起こりと宮之城島津家の祖先の事績が刻まれています。そこには、「豊臣秀吉」や、徳川家康を指す「東照大神君」の文字も読み取れます。
石碑を背中に背負っているのは亀です。なんと、石碑の四面の漢文を全て読み解けば、この亀が動き出すのだとか!その文字は現在も風化せず、くっきりと刻まれていますから、ぜひあなたも挑戦してみてくださいね。

ボランティアガイドの解説を聞くと、文化財・史跡巡りがぐんと楽しくなります。コースは応相談。
申込み問い合わせは、さつま町文化財ボランティア(さつま町社会教育課文化係)0996-53-1732へ。
宗功寺公園:鹿児島県薩摩郡さつま町虎居 5254